読書日記

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トマス・ハリス(高見浩・訳)「ハンニバル(上・下)」 2001年10月09日

 トマス・ハリスという人は非常に寡作な作家らしく「羊たちの沈黙」からこの「ハンニバル」まで10年かかっている。その間は何も書いていない。調べてみると75年に「ブラック・サンデー」でデビューして以来、レクター博士が登場する「レッド・ドラゴン」(日本公開タイトル『刑事グラハム/凍りついた殺意』)「羊たちの沈黙」、そして本作「ハンニバル」3部作しか書いていないらしい。「羊たちの沈黙」が映画化されてサイコサスペンスの大傑作との評価を受け、続編への期待はかなりのものがあったと思うが、ここにようやくにして日の目を見ることになったわけである。
 
 主要な登場人物はもちろんFBIの捜査官クラリス・スターリング元精神科医の人食いハンニバルことハンニバル・レクター博士。前作「羊たちの沈黙」で訓練生だったクラリスは今や一線の捜査官であり、レクター博士は逃亡した後イタリアはフィレンツェでフェル博士と名前を変えて知的で文化的な生活を謳歌していた。そんな中クラリスはある事件で窮地に立たされ、レクター博士は生き延びた彼の被害者であるメイスンによって復讐を企てられる。
 
 見所(読み所)はレクター博士のピンチとそこからの脱出。一度目はまんまと返り討ちに成功し、二度目は絶体絶命かと思いきやクラリスが駆けつけて。。。前作でレクター博士は、魅力はあるもののやはり悪役的存在であった。しかし本作ではレクターをつけねらうメイスンこそが悪役で、相対的についレクターに肩入れしたくなる筋立てであった。そして最終的にクラリスとレクター博士は互いに理解し共感しあい、固い絆で結ばれることになる。正直な感想は、うーん、それでいいのか? 最後の章はどことなく夢うつつの出来事という印象で、唐突ながら「2001年宇宙の旅」の終章を連想した。映画のラストは小説とはいささか異なるらしいが、映画の方も観てみたい。7点。
 

トマス・ハリス(菊池光・訳)「羊たちの沈黙」 2001年09月29日

 映画化('91)もされて大変に有名な作品である。映画はTVで2度ほど見て(すでに細部は忘れているけど)評判通り面白く鑑賞した。最近になって続編となる「ハンニバル」が映画公開された。もちろんこれも同じくトマス・ハリスの原作で、小説の方もよく売れていたようだ。図書館で見つけたので「羊たちの沈黙」と「ハンニバル」上下巻をあわせて借りた。
 
 原文のせいか翻訳文のせいなのか定かではないが文章はやや読みにくく感じた。翻訳は古いせいかあまりこなれているとは言えない。テーブルと書かずにテイブルとなっていたりするのは、発音的にはより正確なのだろうが日本語としては読みにくい。訳そのものも、原文に忠実なのだろうとは思うが日本語的には分かりづらいところがいくつもあった。最近の翻訳は随分と読みやすくなっているのだが。。
 
 ストーリーは大体映画と同じ。でも映画オリジナルの描写もあったようだし、逆に小説には映画で割愛されていたであろう部分も少なからずあった。ところで多くの場合、小説の映画化というのは陳腐化して実写映像にも関わらず逆に現実味が薄れたりするのだが、やはりあの映画の出来は素晴らしかったと思う。映画を先に見たせいもあるかもしれないが、テンポのよいスリリングな展開は小説以上だったと感じた。もちろん小説の方は翻訳の影響も考えなければいけないけれど、細かな描写が多すぎてスムーズな展開を妨げている傾向がある。というわけで文章は今ひとつなのだが、ストーリーの秀逸さで挽回している。さて「ハンニバル」ではどうなるのか。7点。
 

高嶋哲夫「イントゥルーダー」 2001年09月19日

 第16回サントリーミステリー大賞・読者賞をW受賞(1999年)した作品。
 
 日本のコンピューター産業の開拓者にして現在も一線でスーパーコンピュータの開発に取り組むトップエンジニア・羽嶋の元に、息子が事故で危篤の知らせが飛び込んだ。それはそれまで存在さえ知らなかった息子であった。25年前のかつての恋人との間に生まれ、羽嶋と同じく優秀なコンピュータエンジニアとなっていた息子はなぜ事故にあったのか。
 
 覚醒剤取引や某会社の不正経理など怪しげな事実が次々に出てきて息子の人物像さえなかなかつかめず困惑する羽嶋。しかし最終的に原発産業を動かす巨大な力が背後にあることが明らかになってくる。もともと原子力畑の研究者だった作者の原子力や技術全般に対する真摯な思いが登場人物を通して語られているようである(ただ原子力技術はともかく、コンピュータに関する記述では?の部分が随分あった)。
 
 技術への過信と巨大利権が産み出す原子力発電の闇を描いたサスペンスであると同時に、一度も顔を合わせたことのない父と子の間に生まれた心の絆の物語でもある。サスペンス部分の出来も素晴らしいし(ちょっと安易な部分もある、息子の恋人を名乗る女性・理英子はずっと素性がはっきりせず最初からいかにもあやしい)、羽嶋にじわじわとわき上がる息子への愛情は読者の心を打つだろう。結末がちょっとナンだが(すっきりとハッピーエンドが良かったのにい)、W受賞も納得の出来映えである。7.5点。
 

新井素子「チグリスとユーフラテス」 2001年09月16日

 第20回日本SF大賞(1999年)を受賞した作品。山本周五郎賞候補にもなっている(受賞は重松清「エイジ」)。
 
 地球から移民した惑星ナインは滅亡の時を迎えていた。人々の生殖能力が失われ、新たな子供が産まれてこなくなったのだ。そして「最後の子供」ルナが生まれる。ルナは老いて惑星上にただひとり残されていた。孤独に耐えかねたルナは不治の病や怪我などの理由でコールドスリープについていた人(なぜか女性ばかり)を順に起こしていく。彼女たちはルナを見てそして惑星ナインの現状を見て何を考えるのか。。
 
 新井素子の小説は実に久しぶりに読んだ。もっとも、もともとあまり読んだことがあるわけではないのだが、その独特の文体や語り口は一度読んだら忘れない。本書も隅から隅まで新井素子がぎっしりである^^;) 登場人物はそのパーソナリティーに関わらずみんな新井素子語を駆使する。「えと。」とか「んで、」とか「・・・だよおっ!」などなど。若者から老人までみんな例の舌っ足らずな10代前半の女の子をイメージさせる口調である。作中では登場人物が文章を書いたりするのだが、それさえもほとんどが口語的で、独り言が挟まっていたりする。このあたりは好みが分かれるだろうし、私としては本来あまり好きではないのだが。。とは言っても、やはり新井素子はこうでなくちゃ、という気もする。そうでなければもはや誰も(私を含めて)納得しないのだろうな。
 
 んで。起こされる人が本来生きていた時代はだんだんと時を遡るので、本書は惑星ナインの逆さ年代記という構成になっている。起こされた女性たちは惑星ナインの現状と彼女たちが生きていたそれぞれの時代を反映していろいろと悩むことになる。子孫を残す意味とは。芸術とは。人生とは。人が生きる意味とは。
 
 はっきり言って、いろんな部分の論理だとか、登場人物の心理だとかつっこみどころは多い。そりゃもうあちこちにある。そんな意味で本書は決して緻密で論理的なSF作品ではないし(SFである必然性も薄いかも)、小説としても完成度が高いとはいえない。でも読んでいて、それらはあまり問題ではないのだな、という気にさせられて読後にはふわんとした満足感が残った。7点。
 

北森鴻「花の下にて春死なむ」 2000年09月08日

 短編および連作短編集部門で第52回日本推理作家協会賞(1999年)を受賞した作品。アルコール度数の異なる4種類のビールを置いた小さなビールバー「香菜里屋」のマスター工藤が(安楽椅子)探偵役をつとめる連作短編集。ただしマスターの活躍はわりと控えめである。全体的に話は面白い。犯罪がらみのものよりは人情ものが多いが、甘すぎず辛すぎずでいい感じである。ただ肝心の推理部分をはじめ展開の論理性に問題があるように思う。破綻しているというわけではないのだが蓋然性が低い論理や出来事が積み重なっていて、読み返すほど納得行かなくなる。でもまあ話は良いので読んで損することはない。以下、各話ごとの感想。
 
「花の下にて春死なむ」孤独死した草魚さんも本編の主人公の七緒さんも、最初もっと年の人かと思ったら案外若かった。それはともかく、なかなか複雑な推理小説である。草魚の謎に包まれた過去と死に際の奇跡の謎を解き明かしており、それはよくできていると思う。ただ、イマイチ納得行かないのは先にトリック(あるいは謎解き部分)があって、それに物語を無理矢理くっつけたみたいに感じたからだ。7点。
「家族写真」地下鉄駅の貸し出し用文庫本に大量に挟まれた家族写真の謎。「香菜里屋」常連客の推理合戦、そして真実はひとりの客の胸の内に。6.5点。
「終の棲み家」本書のベスト。やはり推理の部分は引っかかるが、話としてはとてもよい。心に響く、好きなタイプの話である。7点。
「殺人者の赤い手」絵になりそうなラストで短いTVドラマが出来そうではあるが、持って行き方が強引すぎる気もする。6点。
「七皿は多すぎる」えーっと、これは「九マイルは遠すぎる」のもじりかな? たまたま町で聞いた回転寿司屋で鮪ばかり食べる男の謎を推理する。しかし推理はお粗末。せっかくネタ(謎)は魅力的なのになあ。5.5点。
「魚の交わり」最初の話の草魚さんが再び登場、といってももちろんすでに死んでいるのだが(一話目の2年後の話である)。放浪の俳人である草魚さんが若い頃に関わった事件を追う。6.5点。
 

阿刀田高「新約聖書を知っていますか」 2001年09月03日

 再読。ちょうど未読の本が手元に無くなってしまい、押し入れを漁って見つけた。これなら気軽に読めて、途中で止めることも途中から読み始めることもできる。けど結局ぜんぶ読み直してしまった。
 
 古典文学(聖書を古典文学に入れてよいのかよく分からないが)を紹介するエッセイシリーズはもはや阿刀田高の定番になっている。新約聖書の前には旧約聖書を取り上げているし、その前には「ギリシア神話」「アラビアンナイト」「ガリバー旅行記」について書いている。未読だが最近では「ホメロス」も取り上げているようだ。古典文学はどうもその文体に馴染めなくて、という向き(←私のこと)には、実際に読む前の導入としても、本編を読む気はないけど知識として大まかな内容は知っておきたいという目的にもかなう絶好の書物である。
 
 本書は新約聖書の流れに沿いながら、聖書のエピソードが紹介されたり著者独自の解釈が披露されたりしている。流れに沿っていると言ってもところどころは前後しており、章ごとにひとつのテーマを絞って関連する事柄を取り上げる形だ。著者は別段信仰を持っているわけではないそうなので独自の解釈は素人の素直な感想に近いものだが、大体の読者にとってはそれらは首肯できる内容だろう。実際のところ著者が考えている以上に聖書の内容はフィクションだと思うのだが、それでも数々の奇跡やイエスの言葉について、その背景やら本当に言いたかったことを想像するのはなかなか面白い。聖書を読むのに堅苦しい神学的な解釈などはほとんどの人には無用であろう。やはり信仰には縁遠い私としては、こうやって各エピソードを楽しんだり、ついでに信仰に関わらない普遍的な何かを感じ取れれば十分なのだろうと思う。7点。
 

首藤瓜於「脳男」 2001年08月29日

 第46回江戸川乱歩賞(2000年)受賞作品
 
 物語のオープニングはいきなり緊張の場面である。連続爆弾事件の犯人のアジトと思われる建物に刑事らが潜入するところから物語は始まる。しかし本書は爆弾犯との攻防を描いたサスペンスではない。てっきりそうかと思って読み進めると話はとんでもない方向に転がり出した。爆弾犯はほとんど刺身のつま程度の存在である。
 
 とんでもない方向に進むと書いたが、なかなか目指す方向が見えず、前半ではどんな話になるのか分からない。"脳男"の意味は本書を半分くらい読んだところで明かされる。話の性格が分かってくるとなかなか興味深い。現実的・医学的にはどんなものか知らないが、"脳男"の存在は小説の題材として実に魅力的である。
 
 面白かったが難点もなくはない。一番感じたのは、話の各部分が有機的につながっておらず断片的な印象があった。話のつながりがすこしだけ唐突で、思いつくまま書いていったような感じである。もっと伏線を張って全体を再構成する余地があるのではないだろうか。新人にありがちな欠点と言えばそうなのだが。結末もやや中途半端だった。しかしこれは見方によっては"脳男"の続編を書く予定があるようにも読みとれる。どうだろうか。もしそうならば楽しみである。ぜひ"脳男"の活躍ぶりをもう一度読んでみたい。7.5点。
 

大沢在昌「心では重すぎる」 2001年08月25日

 失踪人調査を得意とする探偵、佐久間公シリーズ。大沢在昌の79年のデビュー作「感傷の街角」以来のシリーズ6作目にあたる本書であるが、私が佐久間公シリーズを読むのはこれが始めてである。いや確か「感傷の街角」を読みかけたのだが最初の方で放り出してしまったことがあった気がする。デビュー作ということでまだまだ文章もこなれていなかったのか、面白くなかったのだ、たしか。。 本作品はさすがに人気ベテラン作家らしく、読むのが苦痛になるようなことはない。ただ多少説明くさい部分が多くて単純な娯楽作品として気楽に読むには重すぎる。これがこのシリーズの特色なのか、あるいは最近の作者の傾向なのかは知らないが、人生哲学的なことなどを語るのに多くの字数が裂かれている。
 
 佐久間は現在「セイル・オフ」という薬物依存者の厚生施設でオブザーバーとして働くかたわら、ほんの時々失踪人調査の仕事を引き受けるという生活を送っている。この状態に至るまでの物語は前作までにいろいろあるようだ。そして今回引き受けた仕事は、かつての超人気漫画家で現在行方知らずの「まのままる」(へんな名前)を探すことだった。一方「セイル・オフ」で生活している少年、雅宗が脱走するという事件が起こる。雅宗は「セイル・オフ」の外界に問題を抱えていた。佐久間は渋谷という若者の街を舞台にしてこの二つに関わる調査を平行して始めるが、両者は複雑に絡み合うことになる。7点。
 

東野圭吾「嘘をもうひとつだけ」 2001年08月16日

 東野圭吾ファンにはお馴染みの加賀恭一郎刑事の名推理が冴える短編集。ほとんどの作品が犯人の側から描かれており、一種の倒叙もの、、と言ってよいのかな? ただし小説中でいきなり犯人であることがばらされているわけではない。でもすぐ気付くような書き方になっている。事件は大体すでに発生しており、犯人のところには事件の関係者と言うことで加賀刑事が聞き込みに来る。その結果、加賀の鋭い質問と捜査事実そして名推理によって真相が見抜かれ、事件の全貌が明らかにされるという構成である。
 
 作中に「この加賀という刑事は、詰め将棋を指すように、じっくりとそして確実に、彼女を追いつめてきたのだ」という記述があるがまさしく本書はそんな小説である。しかしそうやって全編で加賀刑事が活躍するわけだが、各話の主人公はあくまで犯人だ。加賀が推理に悩んだりする過程はまったく出てこない。読者は犯人と同じ視点で加賀刑事の鋭い推理を聞きながら、どこに落とし穴があるのか考えさせられ、事件の真相に思いをめぐらす仕組みになっている。事件の真相も手抜きはなく、どの作品も読み応えがある。一番のお薦めは「狂った計算」。7.5点。
 

松岡圭祐「千里眼/運命の暗示」 2001年08月15日

 千里眼シリーズ三部作の最終作、かと思っていたらさらに続くらしい。四作目はすでに出ていて五作目もまもなくだとか。でも二作目がいかにも続きますという形で終わっていたのに対して今回はちゃんと終結している。
 
 主人公はもちろん岬美由紀。それに嵯峨敏也刑事の蒲生が加わる。嵯峨は「催眠」の面影はなく、完全にイマイチ頼りない男に変わっている。映画やTVの稲垣吾郎のキャラだと言われればなるほどそうかと思えるが。嵯峨と蒲生は前作で捕らわれの身となった岬美由紀を救出すべく敵陣へ乗り込むが、世界を裏から操るメフィストコンサルティングのシナリオ通りに美由紀とともに中国へ送り込まれてしまう。中国はいまやメフィストの心理操作によって不可解な対日戦争を開始しようとしていた。何とか窮地を逃れた三人は開戦を阻止すべく行動を開始する。
 
 読み始めたときは派手ではあるが荒唐無稽な物語が展開されるのではないかと危惧していたが、なかなかどうして地に足のついた小説になっている。もちろんそれでもツッコミどころは多々あるのだが、むやみに超自然的なものに走らず一応は筋の通った説明を心がけている。見てはいないが映画版はどうやらオカルト主体らしいんでずいぶん感じが違うようだ。
 
 最後には"ミドリの猿"の正体が明かされる。多分にSFチックではあるがその正体には驚いた。"ミドリの猿"はやはり前作「千里眼/ミドリの猿」ではなくこちらの副題にするべきだろう。7.5点。
 

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