読書日記

INDEXページへ

藤原伊織「シリウスの道」 2006年03月10日

 広告代理店に勤める38歳の辰村祐介が主人公。内容紹介に「広告業界を舞台に展開する長篇ミステリー」と書かれているが、ミステリ色は薄く、むしろハードボイルドというべきだろう。渋くて筋が通っていてこだわりがあり、時には体を張った無茶もする辰村のキャラはハードボイルドの典型だ。
 
 2005年の「このミステリーがすごい!」で6位「週刊文春ミステリーベスト10」で7位を獲得している。3週間の出張に持って行き、少しずつ読み進めた。大抵の小説はできるだけ一気に読んで作品世界に没頭する方がより楽しめることが多いのだが、本書はゆっくり読んでも十分に面白さが伝わった。小手先ではない魅力を備えている証だろう。
 
 作者は2002年まで長らく(作家もしながら)大手広告代理店・電通に勤めていたそうで、それだけに広告業界の内幕はリアルで迫力がある。もちろん筆が達者で稀代のストーリーテラーである作者であるから、知識先行で説明くさくなることはない。代理店各社が繰り広げる激烈な競合や、社内における駆け引きと闘いなど、たいへんに興味深く、スリリングな展開を楽しめた。少年時代の事件が尾を引く幼なじみをめぐる不穏な出来事や、若手社員の爽やかな成長ぶりと、色々な要素もほどよく絡み合う。ただ、若干の苦みが残る結末は、もっとハッピーエンドにしても良かった気がする。
 
 本作は2003年11月から2004年12月まで『週刊文春』に連載された。作者は本作の連載を終えたあと食道がんであることを公表した。好きな作家の一人だけに心配したが、治療によって現在は快復しているとのこと。8点。
 

宮部みゆき「ICO -霧の城-」 2006年02月15日

 プレステのコンピュータゲームの世界をもとにしてノベライズされた作品だそうだ。宮部みゆきってゲーマーだったのか。
 
 前半の、ゲームで言えばオープニングストーリーにあたる部分はすごく面白かった。天才・宮部みゆきの才能をフルに発揮してオリジナルストーリーを膨らませていった結果だろう。この謎に満ちた世界で、これからどんな物語が展開されるのか、期待が高まり、RPGにはもちろんファンタジー小説にもあまり馴染みのない自分でもすごくワクワクできた。
 
 しかし残念なことに、いざ冒険が始まると急に冗漫になったように感じた。私のゲーム経験(と言ってもほとんど無い)から言うとこの手のゲームは、迷路の中とか同じところを何度も行ったり来たりしながら、少しずつ手がかりを集めていってゴールを目指すというのがお決まりである。これがどうも性に合わない。もちろん良くできたゲームには途中を飽きさせない工夫が色々とされているのだが、それでもなお退屈しやすい。この小説の本編部分は、おそらくもとのゲームストーリーを尊重した展開になっていると思われるが、これが変化に乏しくて面白味に欠ける結果になってしまった。ゲームをクリアした人ならその記憶と重ね合わせてイメージを膨らませることで、もっと楽しめるのかもしれない。6.5点。
 

古川日出男「ベルカ、吠えないのか?」 2006年02月12日

 作者は2002年に「アラビアの夜の種族」で第55回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)を受賞している方だが、私は初めて読む。というか名前も本書で初めて知った。2005年「このミステリーがすごい!」で7位であるのと、ちょっと変わった題名に惹かれた。
 
 第二次世界大戦の末期、敗走する日本軍から太平洋の孤島に打ち捨てられた軍用犬が4頭。やがて乗り込んできた米軍が彼らを引き取り、彼らとその子孫が世界中に広がっていく。たいへん壮大な一大叙事詩であり、イヌを軸にした創世神話の趣さえ感じられる。現実は小説より奇なりと言うが、本書は何というか「"小説より複雑でドラマティックな現実"のような小説」というような、逆説的で倒錯した印象を受けた。ある意味、実に地味なのだが、その一方で、大河ドラマ的で豪華絢爛な物語でもある。ともかく独特の世界観が骨格をなしている。
 
 独特と言えば文体も非常に独特である。正直に言えば読みやすいとは言えないし、複雑なストーリーをさらに分かりにくくさえしている。とは言え本書に関して言えばこれもアリかなと感じる。独特の世界にふさわしいユニークな文体というわけだ。もっとも、もしこの作者の他の作品もこんな感じだったりするとちょっと疲れてしまいそうだ。7点。
 

高野和明・阪上仁志「夢のカルテ」 2006年02月04日

 執筆は高野和明で、ストーリーはふたりで創作したという合作。心理カウンセラーの来生夢衣は他人の夢の中に入り込むことができるという特殊能力を持っていた。夢衣はこの能力を生かすことで、クライエントの深層心理を把握することができる。4話から構成され、それぞれで事件が発生するのだが、どちらかというと全編を通してひとつの作品ととらえる方がしっくり来る。
 
 気になったのは、夢衣の性格がちょっと繊細で傷つきやすいこと。この手の設定なら、もっと颯爽と問題に立ち向かって解決するような逞しい性格にして、それぞれの事件を主体にした方が面白くなったと思う。まあそれは好みの問題である。ただ、性格的にしばしば子供っぽいところもあるのは、カウンセラーとしてもちょっとどうかと思う。ということで、不満はあるが、それでも夢衣と最初の話で出会った麻生刑事との恋愛の行方とか、夢衣の成長が爽やかな後味を残す物語。7点。
 

東野圭吾「容疑者Xの献身」 2006年01月31日

 泣く子も黙る三冠王2005年の「このミステリーがすごい!」「本格ミステリ・ベスト10」「週刊文春ミステリーベスト10」を総ナメ。すべてで第一位の栄光を手にした。さらには2006年1月17日、四冠目となる第134回直木賞の受賞が発表された。ファン一堂(そして作者本人)が首を長くして待ち望んだ受賞だ。というか、これまで受賞させてこなかった直木賞ってどうなのか?と、選考委員の見識が疑われてきたりもしたのだが、ともかく今回の受賞は喜ばしいことこの上ない。
 
 物理学者・湯川学が活躍する「探偵ガリレオ」「予知夢」のシリーズだが、趣向はガラリと変えられている。これまでが科学の観点で事件の謎を解く物語だったのに対して、本作では「科学」はとくに関係ない。湯川は旧友である天才数学者・石神が構築した驚天動地のトリックに対峙する。
 
 そういえばこの作品には、石神が愛した女性が、これだけの犠牲を払ってまで献身するほど魅力的に思えない、という批評があるそうだ。まあ素直な感想としては理解できなくもないが、実際のところ世のほとんどの恋愛は平凡な誰かを運命の人だと勘違いすることで成り立っているのだ。ならば石神の気持ちも何ら不自然ではなかろう。直木賞の選考でも「人間が描かれているかどうかについて激しい議論」があったそうだが、最終的に「トリック主体の本格推理小説」としての完成度の高さが評価されたのはまったく妥当であろう。
 
 トリック命の小説なので詳しく書けないが、作品中の言葉を借りれば「複雑だが、見方を少し変えるだけで驚くほど簡単」「極めて単純だが常人には絶対に思いつかない、選ばない方法」が使われている。正直なところトリックの冷徹さは好みではないが、それでもとにかく凄い!と思えるトリックだ。ミステリがそれほど好きではない人の評価は必ずしも得られないかもしれないが、ミステリの世界には記念碑的作品である。7.5点。
 

石持浅海「扉は閉ざされたまま」 2006年01月27日

 昨年の年末恒例ミステリランキングでも、軒並み上位を占めた傑作である。「このミステリーはすごい!」と「本格ミステリ・ベスト10」で第2位、「週刊文春ミステリーベスト10」で第5位を獲得している。すべてで第1位の三冠を達成した東野圭吾「容疑者Xの献身」の陰に隠れているが、「容疑者X」以外では3つのランキングすべてで上位5位以内にランキングされた作品はこれだけである。
 
 冒頭いきなり犯行の様子から物語がスタートする、倒叙形式の作品だ。題名からも密室殺人であることがうかがえるが、密室のトリックは最初から明かされており、この作品の眼目はあくまで犯人と探偵役の攻防である。前半はわりとふつうという印象だったが、後半ラストが近づくにしたがってどんどん盛り上がり、ページをめくる手が止まらなくなる。こうなると途中で止めては興が冷める。後半一気読みこそが本書の正しい読み方であり楽しみ方だ。
 
 大学時代の友人7人が、そのうちひとりの身内が所有する休業中のペンションに集まって同窓会を開く。こういう状況の小説ではよく中の何人かは仲が悪かったりするのだが、本書の7人はみな親しくて仲も良い(もっともそのうち一人が別の一人を殺害するわけだが)。犯人である伏見と探偵役になる優佳も同様で、互いに親しい仲である。このふたりが他の5人と異なるのは、どちらも非常に優れた頭脳を持ち、しかもそれを互いに理解し合っているところだ。このふたりの攻防は表面上はたいへん静かに進む。しかし、その裏で繰り広げられるハイスピードの空中戦のような頭脳戦がすごい。作者はこの辺りの表現が実に巧くて、ついのめり込んでしまった。気になるのは動機の点で、これはちょっと弱いと思うのだが、それでもなお近年の倒叙ものの中で出色の作品である。7.5点。
 

伊岡瞬「いつか、虹の向こうへ」 2006年01月25日

 第25回(2005年)横溝正史ミステリ大賞&テレビ東京賞のダブル受賞作。原題は「約束」。原題もそうだが、改訂された題名はますますファンタジックで、わりとのんびりした雰囲気の作品かと思ったらさにあらず。ミステリの要素も色濃いハードボイルド作品だった。
 
 主人公は酒好きのうらぶれた元刑事・尾木遼平。いわくつきの辛い過去を持つ彼は、やはりなにがしかの過去を背負っているワケありの男女3人の居候とともに奇妙な同居生活を送っていた。そんな彼がいつものように飲んだくれた帰り道に出会った娘・高瀬早希が成り行きで尾木のところに転がり込んでくる。同居人たちは歓迎の様子だったが、やがて事件が起こる。ヤクザの親分の甥が殺害され、早希が逮捕されたのだ。
 
 基本的には巻き込まれ型で、尾木とは互いに虫が好かない元同僚の警官や、強面のヤクザたちという定番の登場人物たちに囲まれて「事件」は展開する。ハードボイルド作品としてこれといった斬新さは感じないが、並の新人からは頭抜けている安定した筆力と構成力を感じた。新人賞は一般に何か新しいものを求めることが多いが、こういう素材を発掘することももちろん重要だろう。横溝正史賞といえば、1999年の井上尚登「T.R.Y」という大傑作を生んでいるが、ほかもまた読んでみようかな。7.5点。
 

大倉崇裕「七度狐」 2006年01月19日

 この冬は寒波襲来で日本海側を中心に記録的な大雪となっている。豪雪地帯に住む方々の苦労はいかばかりか。ところで嵐や大雪による閉鎖状況というのはミステリにはおなじみの設定で、そこでは決まって殺人事件が起こる。そんな閉鎖状況など現実にはそうそうあるまいと思っていたら、先日来の大雪で道が塞がれて「陸の孤島」となった地域のことが連日ニュースに流れていた。もちろん殺人事件は起こっていない。
 
 さて、この作品では大雪ならぬ大雨のおかげで陸の孤島と化した杵槌村で事件が起こる。そこには名跡「春華亭古秋」の継承者を選出するために開かれる一門会の取材のために「季刊落語」編集者である間宮緑もいた。先日読んだ「三人目の幽霊」の続編で、本書が著者初の長編ミステリとなる。ちなみに「2004本格ミステリ・ベスト10」では第4位を獲得している。
 
 軸となるのは落語噺を使った見立て連続殺人事件。陸の孤島といっても電話は通じるため、緑は驚異の洞察力の持ち主である編集長の牧大路に助けを求める。電話が使えるのに外部の警察からはほとんど何の指示もないとか、殺人事件が起こっているのだから雨が止んだら山越えしてでも誰か来るだろうとか、設定的には粗も目立つが、それを脇に置けば素晴らしい本格ミステリに仕上がっている。プロローグで種を蒔き、本編ではテンポよく事件が起こり、最後は牧の登場により、数々の伏線を回収するべく目眩く謎解きが行われる。さらにエピローグのだめ押しもあったりして、第一作目の短編集では不満も多かったのだが、本書は満足の出来だ。7.5点。
 

小川洋子「博士の愛した数式」 2006年01月14日

 書店員の投票により決定する第1回(2004年)本屋大賞を受賞して大ベストセラーになった話題作。ほかにも読売文学賞を受賞。さらに、映画化されてまもなく公開である。
 
 本作に登場する数学博士は、17年前の交通事故のため新しい記憶を留めておくことができない障害を持つ。作品中に病名は出てこないが、この前向性健忘症は北川歩実「透明な一日」、黒田研二「今日を忘れた明日の僕へ」、あるいは映画「メメント」などこの数年の間にしばしば目にした。あるいは何かブーム(?)の火付け役があったのだろうか。
 
 さて、ミステリにはもってこいの題材であり、実際にこれまで目にした作品はどれもサスペンス色の濃いミステリだった。しかし、小川洋子はこの題材を使って、とても叙情的な、至高の人間物語を構築してみせた。「博士」は天才肌の数学者なのだが、障害のことを抜きにしても日常面ではたいへん風変わりな人物である。その点においてリアリティは薄いのだが、逆にこの性格付けが無垢な人間性をストレートに表現しており、物語を純粋性を際立たせている。取りたてて事件が起こるわけではないが、数学の持つ美しさや「江夏」をめぐる郷愁を誘うエピソードで味付けしつつ、博士と、家政婦としてやって来た「私」、10歳の息子「ルート」との豊かな心の交流が読者の心にも優しく語りかけてくるという作品だった。7.5点。
 

貴志祐介「硝子のハンマー」 2006年01月12日

 2004年4月発行。待望の貴志祐介の新作ということで、待ちわびていたファンを喜ばせた。実に4年半ぶりの新作ということだが、読者の期待に十分応える力作である。第58回(2005年)日本推理作家協会賞・長編および連作短編集部門を受賞。このミス(2005)では6位
 
 もともとがホラー・サスペンスよりの作者にとって初の本格ミステリである。某介護ビジネス会社の社長が白昼、社長室で不可解な死を遂げる。会社のビルは幾重ものセキュリティシステムに守られ、社長室があるフロアも監視カメラが常時目を光らせていた。現場の強固な密室性から、事故か、もし殺人ならば唯一社長室に出入りできた専務が犯人と考えられたのだが、専務の弁護を引き受けた弁護士の青砥純子は専務は無実と考える。純子は密室の壁を突き崩すために防犯コンサルタント(実は本業は別にあるらしい?)の榎本径に調査を依頼する。
 
 最近の本格推理小説では、とくに大掛かりになるほど、トリックが荒唐無稽でとうてい納得できないものになったり、緻密ではあるが複雑なだけで面白みが無かったりというモノがけっこう多い。本作のトリックは、もし実際に行うとなれば問題は多々出てくるだろうし、そもそもかなり特殊な前提が組み合わさっていなければ成立しないものだ。しかし、実によく考えられていると思うし、面白みとカタルシスもちゃんと味わえるものだった。また本書は二部構成になっている。前半は追及する側から、後半は犯人側の視点から事件を追うようになっているこの二部構成が物語の厚みを増していた。
 
先頃、弁護士純子と防犯探偵榎本が再び活躍する中編「狐火の家」が雑誌「野性時代」に掲載されたとか。シリーズ化が期待できそうだ。7.5点。
 

INDEX