門田隆将「なぜ君は絶望と闘えたのか -本村洋の3300日-」 2009年02月05日 社会的にも大いに騒がれた「山口県光市母子殺害事件」を、被害者遺族である本村さん側の視点から記録したノンフィクションである。まず正直に言うと、感情的には理解できるが、著者や本村さんの考え方やもののとらえ方には、あまり共感できない部分が多かった。 違和感は冒頭から感じた。例えば「死刑判決を勝ち取った」という表現。死刑は勝ち取るものなのだろうか?あるいはこれは「復讐を成し遂げた」という意味なのだろうか?「日本人としての毅然たる姿勢」とは何なのか?日本人であることがここで関係あるのか?日本人にしか通用しない判決だったということか? あるいは例えば「裁判官というものは、被害者や遺族になりかわって犯人を断罪してくれる存在だと思っていた。裁判官のことを勝手に被害者や遺族の味方だと思い込んでいたのである。」と不満に思うところ。もちろん裁判官は被害者側の味方ではないし、むしろそうであってはならないはずだ。 あるいはまた、「少年が将来更生するんではないかという点ですが、それは、可能性であって、逆にまた人を殺す可能性もあるわけです。」「(社会復帰して)また同じ犯罪を犯すかもしれない。その時に、こういった判決を出した裁判官、もしくは弁護人というのは責任を取れるのか。」犯罪を裁くときに、白か黒かはっきりしない場合には無罪とする「推定無罪」の原則があるが、これは将来の犯罪に対しても推定有罪という主張であり、よくよく考えてみれば恐ろしい主張だ。 この事件ではタレント活動をしていた橋下徹弁護士(現大阪府知事)が TV で弁護士への懲戒請求を公衆に呼びかける発言をしたこともあった。その後、広島地裁は、弁護団が被告人の弁解として虚偽の事実を創作したと(視聴者に)思わせる発言について、その事実はないとして名誉棄損を認定し、懲戒の呼びかけは「不必要な心理的、物理的負担をさせて損害を与えるもので、懲戒制度の趣旨に照らして相当性を欠き、不法行為に当たる」との判決を出した。しかし当時、この扇動的な呼びかけに応じた多くの人が、それが正義のつもりで、弁護活動に対する威圧的、暴力的な抗議行動を取ることになった。 このように、一方的な流れとなった大きなうねりのような大衆の声に押されるようにして出された死刑判決が、公正で妥当なものだったのか今でも疑問が残る。その疑問は本書を読んでもやはり解決することはなかったし、疑念はますます強まった。 犯罪において、被害者保護の施策がまだまだ遅れているのは事実である。この事件を通して、木村さんらの活動がその一部の見直しと改善につながったことは評価できる。しかし一方で、「被害者の人権が守られていない」という声が、「被害者に対する手厚いケア」を求める方向ではなく「加害者の人権を剥奪せよ」という方向に流れてしまっていることが多いと思う。被害者側が犯人を憎み許せないと思う感情は理解できる。しかし第三者までもがみな一方的な視点しか持てなくなったり、社会全体として人を許すことができない社会になってしまうのは怖いことだと思う。 復讐心も含めて、人が人を殺したいという感情は、心情として理解できたとしても法で保証すべきものではない。 また、こうして文字にして通して読むことで、本村さんの言葉(著者のフィルターを通したものだが)の中にはいくつも矛盾があるように見えた。仇を討つ、すなわち犯人を死刑にする、という信念だけが常に揺るぎなく存在し、ほかのことはその結論に合うようにその時その時で考えたものだったのかなと思う。もちろんそれは様々な悩みと葛藤があった故でもあり、責められるべきものではまったくないが。心情の矛盾ということで言えば、加害者である F にも悔悛と開き直る気持ちが同居し、揺れ動いていたように感じた。 本書の最後は次のような言葉で締めくくられていた。「この世の中から死刑がなくなったら、どのくらい怖いか分かりません。(中略)社会にとって死刑はどうしても必要なんです」(母・由利子さん)「死刑があるからこそ、Fは罪と向き合うことができるのです」(本村さん) 世界の多くの国ではすでに死刑制度は廃止されている。それらの国は怖い社会になったのだろうか?人は罪と向き合うことができなくなったのだろうか?冒頭から感じ続けた違和感は最後でますます強くなった。 実名報道は必要なのか。厳罰化は良いことなのか。教育刑ではなく応報刑で良いのか。死は罪を償うことになるのか?では犯人が自殺すればよいのか。より残酷な刑罰があればあるだけそれを望むことになるのではないか?死刑制度の存在が死刑を望ませるのではないか。犯罪をめぐる状況にはいろいろ考えることが多い。 犯罪事件がどのように起こり、どのような経過をたどるのか。脚色も多いかもしれないが、本書を読むことでそれらの一例を知ることができるだろう。理不尽な犯罪は他人事ではなく、自分や身近な人にいつでも起こりうる。またそれは、被害者の側とは限らず、自分や身近な人が加害者の立場に立つことだってあり得る。そこまで想像の幅を広げて犯罪に対してどう向き合うかじっくりと考える契機になればよいと思う。実際自分はこの本で、いろいろなことを、これまでになく深く考えされられたのは確かである。6.5点。
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